阪急でV3.上田監督逝く

歴代7位の勝利数を誇る上田利治元阪急監督がお亡くなりになられた。
衷心より、お悔やみ申し上げます。

10歳から30歳まで、ひたすら応援した阪急ブレーブス。
悲運の名将西本監督の跡を継いで監督になったのは1974年のこと。
翌75年、上田阪急は、初の日本一となった。
その瞬間、わたしは西宮球場で上田監督の胴上げを目の当たりにした。
なんという人だ!?就任すぐに、いとも簡単に日本一を手中に収めるとは...
だが待てよ...まだにっくき巨人に勝っていないじゃないか...
喜ぶのは、それからだ。夕暮れの上層スタンドでそんなことを思った。

だが、そんな疑念も翌年きれいさっぱり取り去られてしまった。
巨人を倒しての日本一!阪急ファンの悲願達成の瞬間だった。

翌77年も巨人を圧倒して3年連続日本一。

そしてその翌年、パリーグV4を達成して臨んだヤクルトとの日本シリーズ。
3勝3敗で迎えた第7戦、大杉の飛球をめぐり1時間19分の猛抗議。
敗れた責任というよりむしろ混乱に導いた責任を取って、辞任。
関連記事では、こればかり報じられているが、私の印象は、違う。

ええでぶし。しゃべりだしたらとまらない、かっぱえびせん。
関西大学では、村山さんとバッテリーを組んで日本一。
学業もトップクラスで野球バカとは一線を画す文武両道だったとか。
この辺をもっと報じてほしかった.......。
まあ、いずれにせよ本当に素晴らしい監督さんでした。
強い阪急を見せてくれて本当に有難う!
安らかにお眠りください。さようなら、上田監督。
さようなら、阪急ブレーブス。

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